3年後の自分が何をしているか?想像できますか?

2月は逃げるとか言いますが、いつの間にか3月になってしまいましたね。

2月は1月末からいろんな事があり、慌ただしく時間が過ぎてしまいました。
「下流老人」藤田孝典著 をさっそく読んで、「続・下流老人」も読みました。

別に下流が人を見下したりしている意味ではないのです。これからも増えていくであろう高齢者率の対処の仕方としてどうしていくのが良いのか、やっぱり考えますよね。

思うに今現在の生活でさえも家族にお金を稼ぐ人がいて生活は回っていきます。お金を稼ぐ人の健康寿命は予測はしても、その通りになるかどうかわからない。
健康以外にも逆境は出てくるかもしれない。安定した生活なんて実はそのくらいの現実の上に成り立っていると気づいてしまいます。

退職金が2千万円とかあっても、健康を害した事で急激にお金の無い人になってしまう事もあります。

先の事はわからないし、世界の中で高齢になっても生涯現役なんてうまい事言われて働いている老人が日本には多いとも書いてある。

私はいつも今の若い人は仕事も大変だし、終身雇用なんてほぼなくなってきている現実の中でどうやったら頑張ってもらえるのだろうと思ってしまう。
若い人をないがしろにして老人の将来なんてあるのかしらとすら思ってしまう。

3年後の自分はどうなっているだろう。今を一生懸命やる事で先の事はおのずと決まっていくだろうとはどこかで思っています。
孫正義氏のように10代の時から60代までの人生設計が出来る人もいるのだと思うと、どこで人はこんなに分かれていくのかしらと不思議です。

何一つ無駄な事はないというけれど、時々ため息が出るのはなぜなんだろう。
青年老い易く学成り難し。
基本、一日は棒に振ってはいけないと思う。

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